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2017年8月18日 (金)

「内なる風景・外なる景色」28~「気の話し」5


前回「エネルギーは意識にしたがう」ということで、意識とは何かということにふれた。少なくとも緊張は禁忌であるということだ。これは何も気功治療に限ったことではなく、生命の営みすべてについていえることかもしれない。すべての選択肢は二つの源泉に行き着く。すなわち、「愛か不安か」ということであり、緊張は不安の表現であるということだ。

では、緊張しなければ気が送れるかというと、そうともいえるし、それだけではないともいえる。後者についてはやはりその人自身の素養もあるし、それまでの転生でたどりついたところというものがあるからだ。ただ、そんなことよりもっと大きな問題は前者であり、「気が送れるか送れないか」という不安をもたないということが大切なのである。

以前にも書いたことだが大切なことなので、再度書かせていただく。高校時代の体育の先生は国体に体操選手として出たぐらいであり、体育の授業は体操中心の授業であった。私が好きな陸上競技をやる時にも棒高跳びであった。こちらは運動神経がまるでだめなのでずいぶん苦労した。その体育の授業で跳び箱があり、跳び箱といってもただ跳ぶのではなく、跳び箱の上で一回転してから跳び降りるのである。やってみると出来たのであるが、一回だけ失敗して跳び箱の上で横に落っこちてしまった。それからはまるでダメである。意識では全然怖がっていないのであるが、跳び箱の前まで走ると、体が止まってしまうのである。

体はアタマの意識にはしたがわないのである。

また別の話しで、スプーン曲げの話しである。従兄弟の高塚光さんにスプーン曲げを教えていただき、跳び箱と同様、一回目で出来るようになった。毎日練習していないと出来なくなってしまうからと言われていて、最初のうちこそやっていたが、そのうちにやらなくなり、久しぶりにやると出来なくなってしまっている。曲げているときには「曲がるのが当たり前であった」のが、一度失敗しすると「スプーンはなんて固いんだろう」と思ってしまう。こうなってはもう曲がらない。

もちろん、跳び箱もスプーン曲げもあらためて訓練すればできるようになり、それはそれで尊いことであるとは思うが、それに費やすほど人生は長くない。ただ、不思議なのは体のために送る気だけはスプーンが曲がらなくなってからも変わらずに送ることができたことだ。こちらは「気を送って病気が治らなくとも自分のせいではない」と肚をくくっていたことがよかったのかもしれない。

(8月18日2017年朝 千葉花見川の「書斎」にて)

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